『ようこそ実力至上主義の教室へ 3年生編2』先行試し読み 2/3
〇馴染む
日曜日の朝、部屋の窓から外を眺めると、今日は生憎と終日の雨模様。
今は大雨というほどではないが、傘を持って出歩くには少々抵抗がある、そんな天気だ。午前10時前までに着替えを済ませた後は、時間を空けず傘を1本持って寮のロビーへと降りることにした。呼び出したエレベーターに乗り込むと床が濡れているのが目につく。朝早くから生徒たちが寮を出入りしていた痕跡だ。
「よう、おはよーさん」
1階に着きエレベーターの扉が開くなり、昇降口の傍に立っていたパーカーに身を包んだ男子生徒が振り返り、オレに挨拶をしつつ手を挙げてきた。クラスメイトの吉田だ。
「おはよう」
お互いに短めの挨拶を終えた後、すぐに吉田はソファーの方へと視線を向けた。
「島崎もさっき降りて来たぜ」
そんな言葉が聞こえたのだろう、名前を呼ばれた島崎が立ち上がると右耳から白のワイヤレスイヤホンを1つ外した。それを、鞄から取り出した小さな───恐らくはワイヤレスイヤホン専用のケースと思われる箱へと片付ける。
「何を聴いてたんだ?」
吉田と足並みを揃え島崎のところまで近づき、オレはそう問いかけた。
「受験に向けて英語のリスニングをな。個人的に英語は得意とは言えない分、余裕がある今のうちに少しでも多く時間を割いておきたいんだ」
クラスメイトを待つ僅かな時間も無駄にはしたくない、といったところだろうか。
「んん? おまえって英語苦手だったっけ? 俺より点数高いだろ」
過去のテスト結果を思い返しているのか、吉田が天井の方を見上げて唸る。
「比べる相手がおまえじゃ意味がないな。実際に俺の中では一番の苦手科目だ」
「そうかよ。比べた俺が悪ぅございました」
不服そうにしつつも、そう言って謝罪する吉田。島崎は当たり前のように学年上位に食い込む学力と成績を持っているが、苦手を自覚ししっかり対策しているからこそ結果がついてきているんだろう。
受験が近づく3年生。この辺の意識の高さは流石元Aクラスの生徒といったところだ。
「嫌味だと思ったが、怒らないんだな」
結構短気なイメージがある吉田だが、島崎の発言に強く怒る様子はない。
「そりゃ少しはムッとするが、こいつはいつでも勉強ばっかりだし。俺はそこまで勉強に熱意を向けてないし、差があるのも事実だしな」
そう答えた吉田だが、単純に2人の仲が良いということもあるのかも知れない。
「つか、最近はマジで勉強しかしてないんじゃねえの?」
「どうかな。1日に最低でも5時間以上は割くようにしているが、それくらいだ」
この5時間には、当然学校の授業などは含まれていない。
一般的な高校3年生がどれだけ自主的に勉強に時間を割くのかは知らないが、けして短い時間ではないだろう。
吉田は5時間も出来ないと、手で無理無理と大げさにジェスチャーをしてみせた。
「A卒業の権利はあくまで切り札。ある程度良い大学に入るためには、これくらいは当然で俺だけに限った話じゃない。今日も夕方からはケヤキモールにある塾に顔を出す」
「マジか。どんだけ勉強すんだよ……」
そういえばモール内には、高育が用意している塾があったな。オレには無縁の場所なので足を止めたこともなかったが。プライベートポイントが無くても、普段の素行に問題がなく志望校など明確な進学のビジョンを持っているなど、所定の条件を満たせば無償で受けられるというのは耳にしたことがある。
「塾か。実際のところどれくらいの生徒が通ってるんだ?」
単純に興味の湧いたオレが島崎にそう聞くと、何故か少し睨まれた。
「知らないのか? 3年に限った話でいうと今の時点で20人はいる。これでも普通の高校に比べたら割合は結構少ないはずだ。ここから夏にかけてもっと増えるだろうがな」
それだけ、多くの生徒が受験に向けて動き出すということか。
「おまえも成績が悪いわけじゃないが、顔くらい出しておいた方がいいんじゃないか?」
吉田も島崎と比べると劣ることは確かだが、それでも高い学力を持っている。
大学を視野に入れるなら、通い始めてもおかしくはない。
そのため良かれと思い勧めたのだろう島崎だが、吉田はすぐに拒絶する。
「行かない、行かない。俺は大学もそこそこでいいんだよ、そこそこで。友達と遊びに行くような休みの日まで勉強漬けは勘弁だしな。息が詰まるだろ、勉強ばっかじゃ」
そう言って、真面目に取り組む島崎を横目に断った。
「それならそれでいい。別に勉強しろと強要する気はない。だからこそ、俺が迷惑をかけない範囲でいつ、どこで何しようとも勝手だ」
島崎は勉強する姿勢を否定されたと感じたのか、眉を寄せ吉田を睨む。
「も、もちろん自由だって。そんな怒んなよ」
それを受け、慌てて両手をパーにして上げ、謝罪を口にする吉田。
「ん、んんっ、それで? 俺と綾小路を休みに呼び出した目的はなんだよ」
咳払いを1つ挟むと、話を逸らすように島崎に理由を問う。
貴重な休みであり本来なら自主的に勉強をする大事な1日。確かにそんな島崎に誘われた理由は気になるところだ。
「本当は用件があるのは綾小路にだけなんだが、2人で出かけたり相談できる間柄になってるわけじゃないからな。おまえがいてくれた方が円滑に進むと判断した」
用件そのものに、吉田は関係が無かったらしい。
会話の流れで『相談』というワードが出たことで目的の方向性が少し見えてくる。
「そういうことか。ま、俺は自然と頼られることが多いからな」
参っちまうぜと言いつつ、どこか嬉しそうに目を細める。
「とにかく頼まれたからにはしっかり協力してやるよ。綾小路、ちゃんと島崎の相談に乗ってやれ」
右から左へ流すように、吉田がオレの肩に手を置いてそう言った。
「それは相談の内容次第だけどな。一体何を相談するつもりなんだ?」
島崎の言うように、オレとの関係はけして深いわけではなく、まだ距離がある。
そんな相手にわざわざ相談を持ち掛けるからには明確な理由もあるだろう。
あと気になるのは傘を持ってきてくれと頼まれていたこと。
相談だけなら、それこそ雨の日に無理やり出かける必要などなく、誰かの部屋で話し合いをすることも難しくはないが。
島崎は周囲に軽く視線を向けてから、こちらの目を真っ直ぐに見てきた。
「今日は徹底的におまえの秘密を白状してもらうつもりだ」
「……秘密?」
「ここで話しても解決はしない。とりあえずついて来れば分かる」
そう言い島崎はロビーを出るとすぐに傘を広げ、やや早い足取りで歩き出した。
「なんだなんだ? あいつ、どこに行く気なんだろうな」
「さあ。ケヤキモールとは言ってたが───」
軽く吉田と顔を見合わせた後、オレたちも島崎の後を追うことにした。