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第一回:あっぱれ、処女厨爆誕(『人間失格』太宰治)|実は〇〇な名作文学を、ラブコメ作家・長岡マキ子が、好き勝手に語る連載。

2025/07/15
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 これは、何もかも正反対な二人の甘酸っぱい青春群像ラブコメ『経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。』(イラスト:magako/ファンタジア文庫)の著者・長岡マキ子が、ラブコメ作家の視点で名作文学を“好き勝手に”語るエッセイ。
 第一回目は知らない人はいない、あの超名作『人間失格』(太宰治)を語っちゃいます!

第一回:あっぱれ、処女厨爆誕(『人間失格』太宰治)


 恥ずかしくて誰にも言ったことがないんですけど、十代の頃、もし小説家になれたら、太宰治のような破滅的な私生活を送りたいと思ってたんですよね。そう思うきっかけになった作品が、このエッセイの記念すべき第一回のテーマ『人間失格』です。

 これは太宰の私小説的作品とも言われる小説で、主人公の葉蔵は、異常なほど女にモテる色男。思春期の六年間を女子校で過ごし、不純異性交友など遠い星の話だった私には、葉蔵=太宰が送る酒池肉林の生活が、とてつもない憧れの境地だったわけです。
 それから二十年以上経ち、小説家にはなれたものの、さすがにそんな厨二病めいた願望は持たなくなった今の私が再読して、改めて彼はモテるべくしてモテた男だと感じました。

 若かりし頃、下宿先の娘にお使いを頼んだときのことを、葉蔵はこう述懐します。

「用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分はちゃんと知っているのでした。」
 

 今のようにSNSで「女性を沼らせるテクニック」のような発信が溢れていない時代に、この「モテテク」を発見していた葉蔵は、共感性と感受性が並外れて強く、実在したら本当に女性にモテる男性だろうと思いますね。

 私が昔、夜の街で飲んでいたとき、これからホストクラブに行く予定の友達に、担当ホストからメッセージが来ました。

 「来るときチーズ買ってきてくれない?」
 「いいけど、なんで?」
 「今日何も食べてないんだ。◯◯ちゃんにしかお願いできなくて」

 そのホストは有名店の売れっ子で、友人は一回三万も使わない、いわゆる「細客」でした。空腹を満たしたいだけなら内勤にでもお使いを頼めばいいのに、細客にも負担にならないくらいの小さな「お願い」を、わざわざ彼女にしてきたわけですよ。
 その女心をくすぐるテクニックに感心し、私たちは「さすが!」と顔を見合わせたものでした。

 そんな現代のホストさながらの手管まで使う女たらしが『人間失格』の主人公です。
 改めて本作のあらすじを紹介すると、主人公の葉蔵は小さい頃から世間に馴染むことができず、人に取り入るために「道化」を演じていたが、社会に出てからは、酒や女、果ては薬物に溺れて自殺未遂に至り、脳病院(現代の精神科病院)に収容されて、ついに自身を「人間失格」と断じる……大筋はそんなお話です。
 葉蔵はとにかく女にモテて、女性とのエピソードは枚挙にいとまがありませんが、中でも葉蔵にとって特に大きな存在だったと思われる女性が、三人います。
 ここは当代のラブコメ作家として、彼女たちをラブコメのヒロイン風に紹介してみたいと思います!

 一人目は、銀座のカフェ(今で言うキャバクラのような店か)で女給をしている、ツネ子という女性。
 ツネ子は「関西訛り」があると記されています。方言萌えヒロインです。しかも葉蔵より年上の既婚者で、夫は獄中という凄まじい不幸ヒロインでもあります。
 方言、不幸体質、既婚年上ヒロイン。さすが一人目とあって、属性だけで当て馬の匂いがプンプンしますね。正統派ヒロインには割り当てられることのない属性のオンパレードです!
 しかし、葉蔵はこのツネ子に対して「生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。」と語るのです。
 そして、葉蔵が女性に対してはっきりと恋心を語るシーンは、他にはありません。ツネ子は、葉蔵が唯一本当に恋をした女性、ということになります。
 葉蔵とツネ子は、地方出身で、お金に困っており、現実の生活に疲れているという共通点がありました。

 ラブコメのメインヒロインは、主人公(および読者)の「価値ある女性を手に入れたい」という願望を反映した結果、「高嶺の花」な女性であることが多いのですが、ツネ子は逆です。
 葉蔵の場合、そもそも自己肯定感が低いので、ツネ子のような、高嶺の花の対極にいるような女性だからこそ、安心して自身をさらけ出す恋愛ができたのかもしれません。
 そうして葉蔵は、この女性と心中を図り、自分だけ生き残ります。
 助けられて収容された病院で、葉蔵はツネ子が恋しくてメソメソと泣くのですから、本当に彼女に恋していたのでしょう。
 ともかくツネ子は亡くなって退場し、次に現れるのがシヅ子という雑誌記者の女性です。
 彼女もまた年上で、夫とは死別し、五歳の女の子を一人で育てています。「痩せて、脊の高いひと」という記述があるので、スレンダーで高身長な、年上のシングルマザー、というスペックです。低身長ロリ顔巨乳が最強とされがちなヒロイン界隈では、彼女もまた異端と言っていいでしょう。

 しかし、彼女は大層な「あげまん」でした。

 読めば読むほど、このシヅ子という女性は、どこをとっても無茶苦茶いい女なんです!
 葉蔵の道化気質から放たれるめんどくさい戯言を「可愛い」と軽くあしらうほどの大人の余裕を持ち、昼間娘の面倒を見ていてもらう代わりに、この無職の心中サバイバーを家に住まわせて養ってくれます。
 さらには、もともと画家志望であった葉蔵に、自身の雑誌に載せる漫画の依頼を持ってきて、連載のお膳立てをしてやります。そのうち、他の雑誌からも声がかかるようになり、葉蔵は漫画家としてなんとか生計を立てられるようになるわけです。
 まさに女神のような女性! メインヒロインを張ることは難しくとも、最後までキープしておきたい安定のサブヒロインです。

 それなのに、葉蔵はある日、突発的にシヅ子の元を去ります。

 出奔の理由ですが、漫画を描いて自由になる金を得るようになった葉蔵は、以前にも増して酒に溺れるようになり、ついには飲み代欲しさにシヅ子の着物などを勝手に質屋に持っていくようになります。それにもかかわらず、シヅ子は娘に対しても決して葉蔵のことを悪く言わず、母娘二人で慎ましく、幸福に暮らしている。その様子を見て、二人の幸せを壊してはいけないと悟って家を出るのです。

 なんじゃそら。お前が酒に溺れなかったら万事解決やろがい! という正論は、葉蔵の耳には届きません。

 そして、シヅ子の家を出たところで、また新たな女の家にノーバウンドで転がり込むのが葉蔵です!
 ただし、次の家主はヒロインではありません。銀座のバーのママという海千山千の女経営者で、おそらくは転がり込んできた葉蔵を、ペット的な存在として可愛がっていたのではないでしょうか。
 そうしてこのママの元で、のんびりスローライフ、もといヒモ生活第二章を送りながら、葉蔵は三人目のヒロインに出会います。

 聞いて驚くなかれ、ご近所さんとして登場する今度のヒロインは、なんと、年下で十八歳の処女です。これはもうメインヒロイン確定の激アツ演出です。

 そして、葉蔵は案の定、この汚れを知らない少女・ヨシ子の純粋さの虜となります。

「薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀(かなしみ)がそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽(よろこび)を、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。」


 あっぱれ、処女厨爆誕です!


 そうしてヨシ子と内縁の夫婦になった葉蔵は、妻の処女性に浮かれて、しばらく脳内お花畑な時間を過ごします。
 しかしそれも束の間で、ヨシ子はその純粋さゆえに疑いもなく引き入れた出入りの商人に犯されてしまいます。そしてヨシ子は純粋さを失い、葉蔵は再び絶望の底に突き落とされ、またも自殺を図ることになり――。

 読み終わって思うのは、葉蔵は、やっぱり二人目のヒロイン・シヅ子といるべきだったんじゃない? ということです。年上の手練の女たちに転がされて生きてきたヒモ男には、十代の処女を妻にするのは荷が重かったでしょう。たとえ暴行事件が起こらなくても、ヨシ子はいつか処女性を失い、分別ある大人の女になったはずです。そうなったときに葉蔵の心をヨシ子に繋ぎ止めるものはあったでしょうか?
 私がラブコメ小説として書くなら、葉蔵には、最後にシヅ子のところに戻ってもらって、ハッピーエンドとしたいところですね。

 さて、そんなラブコメ小説として考察しても魅力のある本作ですが、その冒頭部分に「恥の多い生涯を送って来ました。」という有名な一文があります。
 私はここを読むたび、いつも絶え難い羞恥心に襲われます。
 恥のない人生を送る人などいないのに、なんたる自意識過剰! 恥ずかしいからもうやめて! しかし、そう思うのは私の中にも同じ自意識が存在するからであり、これは共感性羞恥というやつです。

 小説家というのは恥ずかしい人種です。

 感受性が豊かすぎるゆえに傷つきやすく、人とかかわることを過度に恐れながらも、その豊かな感受性から創出されるユーモアと想像力は絶えず面白い妄想を脳裡に溢れさせるから、その悶々を安全圏で発散させるべく、一人静かに筆を執るのです。
 葉蔵はまさにそうしたタイプの人間で、非常にクリエイターらしい性格をしていると言えます。

 葉蔵が友人に連れられて、初めてカフェを訪れた際に、次のような描写があります。

 「自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。」

 そうそう、それそれ! と全私がスタンディングオベーション。
 私は、今でこそ一度飲み始めるとビール2リットルは飲まないと満足しないただのザルですが、最初に酒を飲み始めたのは、まさにこの心地よさの虜になったからでした。小説家のような自意識の囚人は、酒を飲まないと慣れない場で楽しく過ごせないのです。
 冒頭でも触れましたが、本作は「自伝的小説」と評されることが多く、実際、作者の太宰と葉蔵の人生には類似点がありすぎて、太宰に関する予備知識がある人ほど、二人を同一視せずに読むことが難しい作品です。
 これは小説家である一読者としての私の直感ですが、少なくとも葉蔵の性格や心的傾向には、太宰自身の内面が大いに反映されていると思います。
 というのも、いくら妄想好きな小説家でも、自分と全く異なる性質の人間の心情を、手記のような形で赤裸々に描くのは難しいものです。私も、自作の小説の主人公は、少なからず自分の性格や考え方をベースにしてしまう傾向があります。
 お前みたいな凡庸な作家だったらそうかもしれないが、太宰は天才だからゼロイチでも書けるんだよ、と言われてしまえばグウの音も出ませんが、ことメンタリティに関しては、ほぼ葉蔵=太宰と考えていいような気がするんですよね。

 もっとも、小説家はサービス精神が旺盛で、創作において時に過剰に「盛る」ことも厭わない傾向があるので、葉蔵の人格は、太宰のそれを誇張したものである可能性は大いにあります。とすると、太宰自身は、もう少し現実社会と折り合いをつけて生活していた、葉蔵よりは「人間失格でない」人物であったことも想像に難くありません。
 そう考えると、太宰が女性にモテたことのリアリティが俄然増してきます。他者の目から見た太宰は、優しくてユーモアがあって、気遣いと思いやりに溢れ、繊細すぎるため精神的に少し危なっかしい面があるけど、その危うさゆえにいっそう人の(特に女性の)心を惹きつける人物だったのでしょう。
 そして太宰自身は、そんな他者からの評価に対し、常に葛藤を感じていたに違いありません。「自分はそんなにいい人間じゃない。私の心はもっと利己的で醜悪である」と。その思いを切実に訴えたものが『人間失格』なのではないでしょうか。
 そして私も、葉蔵を通して見る太宰の自意識に、羞恥の身悶えをしながらも激しく共感し、その人柄に惹かれています。

 太宰治は、没後約八十年経った時代のラブコメ作家の心を虜にする、根っからの女たらし、人たらしであり、それが彼の作品が今日まで読み継がれる所以であると、つくづく感服するのです。

長岡マキ子

長岡マキ子(ながおか・まきこ)
1982年、東京都生まれ、埼玉県在住。慶應義塾大学院文学研究科修了。第21回ファンタジア大賞にて金賞を受賞しデビュー。代表作は『経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。』。老いも若きも酒を飲まなくなった昨今、いまだに飲み会のたびに飲んだくれて大トラになっている中年作家。もしかしたら令和の小説家界隈では限りなく太宰的な存在かも。

アイコンイラスト/みかきみかこ

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